学歴主義からの脱却

本日は、学歴主義、つまり学歴で人を判断するという観点に関して、思うところを書いていきます。

あまり受験勉強とは関係ありませんし、なんなら受験生の志望意欲を著しく損なわせる可能性があるので、「わたくし学歴主義者ではありませんことよ」という方は読まなくて構いません。

 

しかし、私文はダメだとか、地方国公立はダメだとか、旧帝じゃないと、医学部じゃないと、そんな風に考え苦しい思いをしている方には、ぜひ読んでいただきたいと思います。

 

 

 

私は現役生のときは過激学歴主義者でした。私文はクソだと思ってたし、地元の名大文系はセンター7割後半くらいがボーダーだったのでクソ雑魚だと思ってました。そんなところに行くやつはバカだと思ってました。

 

しかしそれらは大きな間違いでした。人としての禁忌を犯していたと言っても過言ではありません。

 

 

人の価値は学歴などでは判断できるはずもないのです。

 

 

前置きがとても長いです。心して読んでください。

 

 

結果と努力量の相関

 

我々は、人の結果と、その人の努力量あるいはその人の価値を結び付けて考えてしまいがちです。

 

すなわち、「東大に合格した」という結果を手に入れた人はすごい!と思うし、いわゆるFランに行った人を、見下すとまでは言わないまでも、彼らを高く評価することはないでしょう。(もちろんこれは愚かなことです。)

 

これは一見当たり前の見方のように思われます。しかし、事実はその通りではないのです。

 

 

人はスタートラインが違う

昨今何かと東大生のメディアへの露出が増え、その東大生の親に関するデータも目に付くようになりました。例えば、

news.careerconnection.jp

上の記事では、「世帯主が40~50歳で世帯年収が950万円以上ある家庭の割合は、一般世帯で22.6%に対し、東大生の家庭では57.0%を占めたという。」とあります。

また、「勤務先は「官公庁」が22.0%で、「経営者・役員」も10.5%いる。職種では「管理的職業」(43.4%)、「専門的・技術的職業」(22.6%)の順に多く、エグゼクティブ層や医者などの専門的な職業が多いようだ。」

さらには、「2013年春の高校卒業生全体(約108万人)に占める私立高校卒業生は29.9%だが、東大・京大合格者5960人では49.4%と半数近くを占める。」とまであります。

 

 

ここで言いたいのは別に「ほらみろ、金持ちしか良い大学に行けねえんだ」とかそんなことではありません。

 

ここで問題にしたいのは、年収950万円以上稼ぐような親は、官公庁や経営者、管理職や医者に就くような親は、高学歴でしょ、ということです。

もちろん例外はあるかもしれませんが、そんな些末なケースは無視していいでしょう。9割以上は有名大学を出ていることでしょう。

 

そんな高学歴の親というのは、まず読書をする人が多いです。別に読書じゃなくても構いませんが、なんとなく勉強をしたり知的な活動をしたり、そういった行動を普段から子供に見せているケースが多いでしょう。

そういった環境は間違いなく年少の子供に良い影響を与えます。(勉強する人はかっこいい!などのイメージを与える?)

 

あるいは、勉強の仕方などを子供に教えてあげることができるかもしれません。あるいは、「中学受験」という我々になじみの全くない選択肢を持ち合わせていることでしょう。塾や予備校にも通わせるでしょう。

 

そもそも、子供の勉強や受験について真剣に考えるのは、やはりいい大学を出てきた人なら必ずするでしょうし。そもそも受験を経験してない親のもとで生まれると、その時点で知識の差が段違いにあります。私の母は全く受験勉強のしんどさを知らないのでよく衝突しました。

 

こんなことを言う京大生がいました。「好きな歴史上の人物は〇〇です(有名なドイツの児童文学作家らしい。私は聞いたことが全くありませんでした。)。理由は、母がその作家のファンで、小さいころに家にあったその本をよく読んでいたからです。」

私は痛感しました。ああ、これが格差なんだと。...これに関しては説明しなくとも、みなさんなら私のこの悲嘆はよくわかっていただけると思います。...環境の違い、親の勉強に対する姿勢、そういったものが教養の差となって顕現した、ということです...。

 

 

つらつらと書きましたが、まとめると、高学歴の親は、子供が勉強を好きになるような環境を提供するし、また子供に大いに投資をするということです。つまり、高学歴の親の子供と、我々一般ピーポーの間には「環境の差」というデカいデカい、特に大人になると「教養の差」としてあらわれてくる壁が存在するのです。

 

親の遺伝とかそんなつまらない話ではないのです。持論ですが、人間というのは環境9割で成長していると思っています。環境が人を形成するというこの持論もそのうちどこかで書きます。

 

その環境において我々庶民と、中~上流階層の方々の間には大きな差がある。そういうことです。

 

受験勉強を始めるスタートラインが、全く違うのです。彼らは子供のころからそうした知的な刺激を受けて、あるいは東大受験を念頭に置いた教育を受けているのですから。

 

東大に合格するという結果は同じだが

そういえばこのブログは京大に合格しようと銘打ったものなのに、東大ばかりを例にあげて申し訳ありません。しかしやはり東大の方が、「SAPIX鉄緑会だ開成だ灘だ筑駒だ」といったエリートグループを想像しやすいのでね...。

 

京大にもいっぱいいますよ。洛なんとかだ西大和だラサールだなんだって。ていうかラサールって高校だったんですね...。知らなかったです。ね?普通に生きてたら、私立高校の名前なんか知りっこないのです。

 

 

それはさておき、「東大に合格する」という結果を手に入れた二人の学生がいるとします。AくんとBくんとしましょう。

 

A君は父親が東大卒で官僚として働いています。あるいは大学教授や高校の先生などでもいいかもしれません。中学受験をして東京の有名私立中高一貫校に入学して、東大に現役で合格しました。

 

B君はシングルマザーで、パートとして働く母のもとでアルバイトをしながら公立高校に通い、現役で東大に合格したとします。

 

このとき我々はどう思いますか?必ずとは言いませんが、B君に同情するだろうしB君の方に一目も二目も置くはずです。

 

このように、「東大に合格する」という二つの同じ結果を手に入れた彼らですが、やはり私には、B君は相当な努力をしたんだろうなと思われます。B君のスタートラインはきっとかなり低かったでしょうから。

 

 

このことから言えるのは、たとえ結果は同じでも、人によってその努力量には差があるという事実です。

 

人を判断するのなら結果ではなく努力量でなければならない

ここまで読んできてくれた人ならきっと、「人の結果だけを見てその人の価値を判断してはいけない」となんとなく思ってくれていることでしょう。

 

ではなぜ、そもそも私たちにはそのような概念が植え付けられてしまっていたのか。

 

おそらく、企業が、大学入試が、模試が、人の努力量ではなく結果でのみ判断するから、でしょう。

 

そうした機関がそういった手段を取るのは現代では当然です。時間のない現代社会において、人の中身をじっくり観察することは容易ではありません。ですから彼らは数字や学歴などの目に見える結果のみで人を判断しています。

 

そうした価値観の中で生きてる私たちも、自然とそう考えるようになってしまったのでしょう。

 

 

そのように結果だけを見て人の価値を判断することは、我々私人間においては絶対にあってはなりません。

 

我々は機関ではありません。人の内面をじっくりと見てあげることができるのです。人を学歴だけで判断するようなことは、その人の努力量を見ずに判断するようなことは、人に対する冒涜でしかありません。

 

 

機関が人を判断する指標として学歴などを使うのは合理的です。

しかし個人の間で合理的に人を判断していく必要はないはずです。その人の価値を判断するならばその指標は決して学歴などではなく、その人がどのような道を歩んできたのか、その人の努力量ではないのかと思うのです。いえ、そうでなければならないはずです。

 

 

 

学歴主義からの脱却

こうして考えると、Fラン大学の人を馬鹿にすることはあり得ません。彼らの環境はきっと良いものではなかった、そう考えるべきでしょう。彼らの努力量はきっと並みの家庭から並みの大学に行く人たちと大差はないはずです。

もちろん、例外はあるでしょうが、少なくとも彼らがクズなのかどうかは学歴で判断すべきではありません。彼ら一人一人をじっくり見つめて、そのあと立派な人物かクズか判断をすればよろしい。

 

先ほどのB君のような子なら、地方の国立大に合格したりしただけでも素晴らしいことですし。

 

我々に関してもそうです。ネットの書き込みなどを見て、私文はクソだとか旧帝じゃないとダメとか考えていたとしたら、それが本当に自分の環境に見合った志望なのかを考えるべきです。

 

もちろん、金持ちじゃないなら地方の普通の大学にしとけ!ということではありません。ただ、家庭に見合わない大学を志望することは修羅の道で、苦しくて、そして諦めてもなんら恥ずべきことではないのですよと、そうお伝えしておきます。だって環境が違うから、努力量の差が大きいんですもの。

 

 

学歴至上主義は自身を苦しめ、周りの人を傷つけるだけです。捨て去りましょう。

 

 

 

 

最後に

かなり長くなってしまいました。もちろん賛同できない!という方もいるかもしれません。それならばまあ、それでいいではありませんか。人にはいろいろな考え方の人がいますし、こんなの言ってしまえば金持ちへのひがみでしかないです。

 

それでもこうした考えを持った時、私は滑り止めの同志社に行くことに一切のためらいが無くなりました。自分の家庭から同志社に行くのなら、十分すぎるだろうと考えたのです。(結果的に運よく京大に合格しましたが。)

 

 

もちろん私文はクソ!だとかつまらない価値観をお持ちの方も一定数いると思いますが、日本の半分は高卒以下ですし、海外に出てしまえば日本の大学のどこ出身かなんて塵芥と化すでしょう。

 

 

どうぞ学歴主義を捨てて、人の真価を判断してあげられるような優しい人になってください。そして、学歴に囚われたかわいそうな自身を解放してあげてください。

 

 

 

 

 

 

 

うーんいまいちまとまりがない...読みにくいですね。

数日後に見返して改訂したりすると思うので、暇なときに見返していただけるとより鮮明に内容が入ってくることと思います。

まだまだ拙文量産機でしかありませんが、いろんな方に読んでいただけているようで大変うれしく思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。